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フリースタイルラップバトルに目覚めた日|ラップと芝居の共通点

まだ僕が広告代理店で会社員をやっていた時代。

コロナで在宅時間が長くなって、「若者のSNSについていかなきゃな」ってことで、ちょくちょくtiktokを見てた時期があったんですけど。
(当時僕は24歳とかなので、世間的には全然”若者”だったはずなんですけど、わたし、流行りに疎くて…Instaすら使いかた未だによくわかってないですし…)

たまたまフリースタイルラップバトルの音ノリの気持ちいいバースが流れてきたのがきっかけで、Youtubeでフリースタイルラップバトルを見るようになりました。

フリースタイルダンジョンが流行ったのが僕が大学生の頃だったので、世間の波から3年~4年くらい? 遅れて自分の中でブームが来たわけです。
(当時は流行っていたことすら知りませんでした。自分が2020年にハマった後になって、友人に聞いたりして、そういえばあの頃友だちがやたらラッパー気取ってサイファーみたいなこと急にし出してたなぁ…と懐かしく思い出した始末です汗)

HIPHOPを聴いたこともなかったので、

ん? 今のの何が勝ちで何が負けなんだ…?

って感じで、ただとりあえず耳心地の良さだけで聴いていました。

だから最初は、韻を多用したり音ノリやフロウが得意なMC(TERU、韻マン、ミメイ、とか…いやほんと耳心地やな)を好きになったんですけど。
段々、専門的な見解はさておき、自分なりに面白さを見つけるようになっていきました。

最初に思ったのは、

今この場で喋ってるかそうじゃない(ネタ)かって、素人でも分かるな…!

っていうことでした。

見てるとちょこちょこ、

即興で勝負しようぜ

とか、

お前の相手は目の前の俺、書いてきたネタ披露するな

とか、

俺のバースにアンサーを返せ

みたいな、

即興で流れているビートに言葉を乗せて相手と対話しないのはダサい、HIPHOP感じない

という主旨のdisを見かけるんですが。

自分の音源のフレーズを披露したり、あるいは有名なサンプリングをそのまま借用したり、みたいなことって、HIPHOPに詳しくないとわかんないはずなんですけど。
僕はド素人なので、もちろんそういう玄人好みの見方はできないわけです。

それでも。

なんか、わかる。

今ここで生まれた言葉、と、作って持ってこられた鮮度のない言葉、の違いは分かる。

そりゃ、用意してくる方が、音源から引っ張ってくる方が、安定感はあるし、カッコよく聴こえることもある。

リズムにだってうまくハメれるし、耳心地よく韻も踏めるし。

一方で、ほんとに即興でビートにアプローチすれば、全然韻なんか踏めないかもしれない。
ただ喋ってるみたいにビートを音で埋めるだけで精一杯になるかもしれない、噛むかもしれない。はっきり言って、

ミスって恥かくかもしれない。

それでも。

これがライブパフォーマンスである以上は。

たった今決まったビートに音乗る以上は。

目の前に”生身の”相手がいる以上は。

うまくラップできなくても、その結果ボコボコにされても、観客にダセーって思われても。

即興で、やる。今、ここで、言葉を吐く。

っていう、その、

死(=失敗・恥)と隣り合わせのむちゃくちゃ怖い場所に自分の身をさらけ出して闘っている姿

に、人は震えるんだなと、勇気づけられるんだなと、思いました。

そして、

今まさにこの瞬間、その極限状態の中で生まれる言葉は、重たい。

っていうことにも、気づきました。

はあ? 言葉は言葉じゃん。軽いとか重いとかないっしょ、低音で響いてるってこと?

や、違うんですよ。

もちろん、そういう、声楽的な軽さ重さみたいなことも、バトルの要素として存在はするのでしょうけど、僕がここで言いたい重たさとは、そういうものじゃなくて。

ぶっちゃけ、理屈に還元できない類のもの、そう、

「言霊」のようなもの

なんじゃないかと、思うんです。

・・・笑いますか?

うーん…ですよね…笑われてもいいです。甘んじて受けます、ええ。Please laugh at me, ready, set, GO! HAHAHA…

はい。僕自身、何も説明できてないなって、思ってますから…すみません。

でもなんていうか、ほんとにあるんですよねー…!ほんとにあると思うですよー!!!!

で、なんでそんなこと思たのかって話ですけど。

これは僕が、曲がりなりにも舞台に立って役者をやっていた(過去形w、そのために会社辞めたのに…)からですね。

いい芝居てなんやねん?

ってことを考えている中で、舞台で役者をやっていると特に思うんですが、本番までに稽古して、何度もして、演出家からのダメだしを反映して、役をつくって、シーンを分析して、相手役とイメージ・認識をすり合わせて…ってやってるうちに、だんだんと、完成形”みたいなもの”に近づいていくわけです。

みたいなってなんやねん、本番でお客さんに見せるんやからそれまでに完成させるんやろ?させなあかんやん。

ってなるんですが、これが身体パフォーマンスの、芸術の難しいところで。

毎ステージ毎ステージ、自分のコンディション、相手のコンディション、時間帯、お客さんの空気、あらゆる条件が違う中で、それらを感じながら、受けながら、今、この場で作られたものでなければならない。

んです。

え?お客とか関係なくない?だって芝居で演じてる世界に「お客」はいないじゃん。

だと思うんですけど、これがそうでもないんですね…。

今しばしお待ちくださいませ
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