こんにちは。まおです。
今日も、生きてますか。今日も今日とて生きて、皆さんも、僕も、えらいです✿
先日、スタジオジブリの『千と千尋の神隠し』を観返して、主題歌の「いつも何度でも」の素晴らしさに改めて気づいたので、その話をば。致したく思いますっ♪
この夢(曲)に救われる人:
・生きている実感に乏しく感じられる人
・「本当の自分」がどこか別の場所にいる気がして苦しい人
・自分は大した人間じゃないと思っている。けど、どこかでそれを諦めきれない人
楽曲あらまし
- スタジオジブリより2001年に公開された『千と千尋の神隠し』(以下、「せんちひ」)の主題歌
(映画の中では、エンドロールで流れますねっ♪) - 作曲・歌の木村弓さんが、前作『もののけ姫』を観て感動し、自身のCDを添えた手紙を宮崎監督に送ったところ、その返事が来たことが作曲のきっかけ
- 元は「せんちひ」までの過程で案に上がっていた『煙突描きのリン』に充てた曲だった。「あの日の川」(久石譲さんによる、劇中で繰り返し流れる楽曲)に詩をつけて主題歌にする予定だった宮崎監督をして、「もしかしたら、自分の中で潜在的にこの歌がきっかけとなって『千と千尋』を作ったのかもしれない」と言わしめたほど、作品にマッチした不思議な味わいの曲。
感想と救われポイント ~自分という海を、囲わない~
わたしが共有された、受けとった、”情緒”
僕は『千と千尋の神隠し』が大好きです。
僕は2020年、コロナを受けてTOHOシネマズがジブリの過去作品を劇場でリバイバルされるまで、『千と千尋の神隠し』以外、ジブリの作品で通しで観たものはありませんでした。
(それ言うとよく驚かれます…し、自分でもなんでそうなっちゃったんだろうとは思います…。)
で、24歳にして初めて『もののけ姫』を観て魂が抜け落ちるほど感動し、それで広告代理店を辞めていくわけですが…
(その話はプロフィール記事でまとめているので、興味のある方はそちらもどうぞっ✿)
話を元に戻すと、僕は『千と千尋の神隠し』は大好きだったんですが、この「いつも何度でも」という曲には、今までそれほどの注意も好意も向けていませんでした。
きっと子ども心に聴いたときの「なんだかリズムも声も古ぼけた感じがする」という思いを引き摺ってきたのだと思います。
それが、今聴いてみると。驚くほど『千と千尋の神隠し』の”主題歌”なんだなあと思いました。
いやそりゃそうやろ、事実主題歌なんやから!
って感じですよね。うん、本当にそう。
じゃあその、主題って?
とこうなった時にね、専門的な議論はその道の方に譲るとして、イチ鑑賞者、イチ愛好者として僕は「抒情性」を一つのキーワードとして受け取っているんです。
僕が『千と千尋の神隠し』で好きなのは、千がハクを助けるために銭婆のところへ謝りに行く部分です。
坊ネズミとハエドリとカオナシと、お友だちを引き連れて電車に乗り込んで海を渡っていくあそこは、「はじめてのおつかい」の叙情がそこにあると思います。
初めて一人で乗る電車。乗り合わせた知らない大人たち。途中通過していく駅に蠢く人たちも、自分の生活とは一切関わりがない。そういう人たちをたくさん目にするたび、駅を一駅二駅と越えていくたび、不安な気持ちになっていく。日が暮れてくるといよいよ恐怖が湧いてくる。世界に一人ぼっちになってしまったような感覚。すぐ両隣に人が座っていても、それでも尚。降りた先の駅前の商店街に灯りが点き始めるのを見ると、もうここから二度と帰っていけないんじゃないかと少し泣きそうになる。でも、ここまで来てしまったからには。お母さんを喜ばせるためには。不安でも、怖くても、何が起こるかわからなくても、行く。
そういう「一人で初めて何かをするとき」の気持ちが、シーン全体から「ただなんとなく感じ取れる」というのが、いいなあと思っていて。
ストーリー展開の面白さ、とか、人生について考えさせられること、とか、素敵な台詞、とか、もちろんそういったものもいいけれど。
ただ、なんとなく、感じる。
情緒を、共有する。
ということの現象自体に、その力の方に、僕は惹かれます。
それで言うと。この「いつも何度でも」はまさに「それだ」って感じがします。
是非この曲はその叙情を共有するためにも、通しで聴いていただきたいのですっ♪
終わっていくこと、始まっていくこと。生きること、死ぬこと。それでも、祝福すること。
…いいですか、お聴きになりましたか…?
の、上で。僕なりに感じたことを述べていけば。
繰り返すあやまちの そのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る
作詞:覚和歌子
なんだこの歌詞は…美しすぎないか…
歴史は繰り返す。人間は学ばない。同じ間違いをなんども犯す。
それは個人もそう。業にも思える逃れがたい繰り返しの過ちに、生きるのに嫌気が差しそうになる日もある。
でもそんなときにふと目を空に向ける。そういう時に限って、空は抜けるように青い。ただ、青い。
意味などない、目的などない、良し悪しなどない、ただ、青い。
その青さを見て、地に這いつくばって生きる目線まで落としてしまっている自分を、少しだけ、省みる。
前を向く、なんて大それたことじゃない。ちょっと肩の力が抜ける。その程度のものだけど。
でも、たしかに、空は青い。この青さを忘れずにいたい。空が青いのだから、わたしにも。
閉じていく思い出の そのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聴く
作詞:覚和歌子
さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが 耳をすませる
作詞:覚和歌子
人と別れること。大切な一日が終わっていくこと。なにかを辞めて違うところへ向かうこと。
その時に、寂しさや切なさや、場合によっては苦しさが押し寄せることもある。
でも、そこにはいつも、きっと、なにかが終わっていくことのうつくしい「ささやき」だって混じっている。
寂しいは、嫌よ?。切ない。でも、なにかが終わって抜け落ちて、「ゼロになるからだ」は、少しだけ、自分の存在を深くする。人生の味をほんの少し、”本当に”噛みしめた気がする。
そしてなにかが抜けていったとき、人はまた必ずなにかを受け取ることができる。
今度は、ほんの少しだけ深くなった自分のからだと耳でもって。
からっぽも、すきま風も、寂しがりながら愛せたら、いいなぁと、思います。
はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ
海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに 見つけられたから
作詞:覚和歌子
はじまる。はじめる。
不安だ。うまくやれるだろうか。
今からでも、遅くはないだろうか。
恥はかかないだろうか。辛くなって嫌になって辞めてしまわないだろうか。
わたしは、この世界になにかを与えることができるだろうか。わたしに、意味は、あるだろうか。
ここから、はじまる。
「ゼロになったからだ」にはなんだって入っていく。
わたしのからだは空っぽだ。でも、ただ、「今からはじめたい」って想いだけは、たしかにある。
内から湧くこの自分を温める気持ち。
わたしは、世界に向かって何かを与えるんじゃない。世界の中で立って歩くんだ。
わたしの中にある、わたしよりも強くて、わたしだけの、わたし。わたしは、わたしのために、わたしを大事にして生きる。
「自分を信じる」が難しくても。自分の中に湧く「このなにか温かい想い」を信じることくらいは。
そこに手をかざして一歩を、いや、半歩を踏み出すことくらいは。続けていけるような気が、しました。
かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっと歌おう
作詞:覚和歌子
これは僕としては結構「実際的に」喰らった詞ですね…。
これを見て僕は、「人に元気?」って聞かれるといつだって「あんまり元気じゃないです」「うーん、まあなんとか…」って答えて「え、どしたの、大丈夫?」と突っ込ませてしまう自分を顧みることになりました。
僕は割と元気なときでも、憂鬱がひどくないときでも、「元気!」とは答えられない。
不安なんですよね、きっと。
「元気?」って聞かれて、「落ち込むこともあるけど、元気だよ!楽しいよ!」って答えたら、「お、そうなんだいいね!」って、納得されちゃう。終わっちゃう。「元気だよ。生きてて楽しいよ!」と答えて、そのように振る舞うのが、すごく不安なこと、勇気のいることに思える。そうやって生きてる人たちが羨ましい。
でも、その「かなしみ」は、言っていても誰も救われないんです。
相手はもちろん、自分自身さえも、言ってる間は、それを相手が心配してくれている間は一時的に安心しても、僕自身が元気になるわけではない。
むしろ言霊の力で、「あんまり元気じゃない」状態を自分で呼びこんでしまう可能性だってある。
だから、勇気が必要でも、「元気です、おかげさまでどうにかこうにか楽しく毎日を送ってます。」と、「そっと歌」って、生きていくほうがいいんじゃないかと、思います。
僕にはそんな些細なやり取りでも、ひどく難しいことのように思える。
それでも、「同じくちびる」ならば。ゼロのからだを充たしていきたいのであれば。
ほんの少しだけ、(本当に)元気なら元気らしく見栄を張る、勇気を。
コンテンツ紹介 ~あさき夢見ばや~
いかがでしたでしょうか…?
うーん。
すごいなあと思った部分を引用で抜き書いてみて、いざ自分が感じたことを文章にしてみようとして、詞の、詩の力に自分で気圧されてしまったのかなんなのか、ずいぶんと不親切な、気取ったみたいな文章になってしまった気もします。
けど、ちょっと今これ以上書けそうにないですね…これだけ緊密にイメージと情緒、重みをもって並べられた言葉に対しては、こちらも相応の流れて湧いて出る言葉でもってしか、向かい合えないのかもしれません。
全然紹介になってねーじゃねーかよ!って、思させてしまっていたら、恐縮です。
少し時間を置いて、また見返してみたいと思います。
が、一方で、情緒を”共有される”とはこういうことなのかしら、と、文章を書こうとしてみて、書いたものを自分で眺めてみて、なおのこと思ったりも、しました。
この記事を読んでくださっている方に、少しでも何か伝われば。
聴いてみようと思ってくださっていたら、幸いです。
私の愛読書でもありますが、作品についてもっと知りたいという方は、文春の「ジブリの教科書」シリーズもおすすめですっ♪
最後までお読みいただき本当にありがとうございました!
それでは、また。あさき夢の狭間にて ✿