こんにちは。まおです。
今日も今日とて、僕も皆さんも、人生お疲れ様です。
救われて、ますか。ちょっとだけでも前向きに、生きられてますか✿
今日は、
『スパイダーマン 2』(洋画)
東京03「初デート」(コント)
の2つから、「守る側と守られる側の意識の違い」について思ったことをまとめてみたいと思います。
いや全然違うコンテンツやん!?
って感じだと思うんですけど、うーん…仰る通りです。That’s right.
なので、今回はあさき夢(救われコンテンツ)の概説というより、まおの私感の共有が前面にでていますっ♪
ヒーローを支えるのであれば
まおの私的な抜き書き ~気になったポイント~
まず、今回取り上げたい部分を双方整理しますね。
「初デート」の方はコントでそんなに長くないですけど、『スパイダーマン 2』の方は、今回取り上げたいのは1シーンなので…!
作品ラストもラスト、別の男との結婚式を抜け、花嫁姿のままピーターの家までやってきたMJ。
「ここにいてはいけない(You shouldn’t be here.)」と諭すピーターに対し、
危険なのは知ってる。でも、私もあなたと一緒に立ち向かう
という主旨のことを言うシーン。
そもそもピーターは「スパイダーマンをしている自分と一緒にいると、危険が及ぶかもしれない。」という考えで、MJのことを昔から好いていながら「いつだって僕はそこにいて、君を守る。ずっと君の友だちだ。」と深い関係には進まないようにしていたのでした。
このコントの核とも言える部分。喫茶店でお茶をしている角田と豊美(豊本)。二人は初デート中なのですが、そこへ飯塚扮するガラの悪いチンピラがやってきて、大声で携帯で通話している。それを「うるさい」と注意した豊美に対し、角田が「絶対にそんなことしちゃダメ。絡まれたら最後は男に回ってくるんだから、怖い人が何してても、黙ってジーっとしていよ?」と文句を言い、振られるシーン。(シーンというかやっぱり、ほぼコント全体ですね…)
ここで何が言いたいかというと、
守る側と守られる側で危険への評価がズレがち
そして当の守られる側の方が危険を過小評価してしまう怖さ
です。
まあ、立場が違えば考えが違うってのは別に守る/守られるの構図に限らないんですが、特に2個目ですね。
(自戒を含めて)これが怖いなあ、難しいなあ、と…。
ヒーローのパートナーであることの功罪 ~『スパイダーマン 2』から~
特に「あぁ…」(モヤモヤ)と思ったのは、MJの方ですね。
このシーンでMJがピーターに言うセリフを引用します。
I can’t survive without you.
(中略)I know you think we can’t be together.
But can’t you respect me enough to let me make my own decision?
I know there’ll be risks.
But I want to face them with you.
It’s wrong that we should only be half-alive, half of ourselves.
あなたがいないとダメ。
(中略)あなたの気持ちは分かるわ。
でも私の決めたことも尊重して。
危険は知ってる。でもあなたと立ち向かう。
中途半端な気持ちで生きるなんて間違ってる。
opensubtitles.orgより
映画のラスト、感動的な、というか、ハッピーエンド的な、というのか、とにかく二人の関係性としては「近づいた」ことになって別にそれ自体はいいことだと思いますが、ここで気をつけたいのが、仮にもピーターは民を守るために自分の身を捧げて戦う”ヒーロー”であるということ。
(この”ヒーロー”については別記事も書いているので、よければご覧くださいっ♪ 最後にリンク貼っておきます!)
一緒に立ち向かうって、簡単に言ってるけどあなたは普通の人だよ…?
というのが、身も蓋もないですが正直な感想でした。
ピーターが戦っているのは、軍事技術や科学的な事故によってスパイダーマン同様に”超パワー”を得たヴィラン(敵)です。
その”暴力”の恐ろしさを知っているからこそ、ピーターは自身の好意を犠牲にしてでも、MJを守りたい一心で遠ざけます。
それに対し、どこまで「危険」をきちんと認識して、そして備えようとしているのか…。
実際、『スパイダーマン 3』で、やはり敵(ピーターの親友のハリー)に狙われたMJは、脅されてハリーの指示通りピーターと別れ、ピーターがブラック・スパイダーマンに堕ちていくきっかけを簡単に作ってしまいます…。
えーー!。言わんこっちゃない…う、うかつすぎないか正直…窓開いてるの気づきなはれや…。
という気持ちになってしまいました正直。
別にMJを責めたいわけではないんです。
別記事でも書きましたが、ヒーローが自己を犠牲にしながらも心を失わずにヒーロー活動を続けるためには、大切な人が自分のことを正しく理解し、そしてあわよくば傍にいてくれることが必要だと思っています。
ただ、守る側は、守るという行為を行っているがゆえに、「危険」の意味を心から分かっている。
それに対し、守られる側が、守る側の人よりも自分の方が”さらに”危険なのだということを、受け止めていなきゃいけないのではないか、ということです。
MJの言う、
お互いに愛し合っているのに離れ離れでいるような、中途半端な気持ちで生きてはいけない
という気持ちもわかるので、それはそれで、ピーターと一緒にいるでいいと思うんですけど、ただ、
ピーターがスパイダーマンである
という純然たる事実にも、きっちりと向き合わないと、それこそ「中途半端な」気持ちになってしまうということです。
ここでいう「向き合う」というのは、一つは「具体的な対策」です。
この世界観ではヴィランには無意味でしょうが、現実世界で言えば、
- 緊急のSOSの送り方を予め用意しておく
- 催涙スプレーやスタンガン、防犯ベルを手元に常に持っておく
- 周囲の人より帰宅デッド時間を早めに設定する
みたいなことです。
そしてもう一つは、「痛みを引き受ける覚悟」です。
自分自身が、敵に狙われて傷つけられるかもしれない。
自分が虜になることで、愛する人が自身の力を十分に発揮できず、
結果的にその人が傷つく原因を自分がつくってしまうかもしれない。
ことを知り、それが実際に起きた時、それを「自身で選んだこと」として受け入れること…。
ヒーローのパートナーである、ということは、愛している人であれば幸福なことでもあり、そこには誇らしさだってあるでしょうけど、一方で、
”あの人のように己の身を守ることすらできない私”、は、”あの人よりむしろ危険”
なのだという相応の覚悟をもってしか、一緒にいられないんじゃないかなあ、と、難しく思いました。
ヘタレにゃあ何も守れませんけど、何か? ~東京03「初デート」から~
それを、守る側が一方的に「俺が守る側なんだ」という意識と、「でも守り切れない」っていう自覚を持っているとどうなるかってことをネタにしたのが、東京03「初デート」ですね。
東京03さんは僕はもうほんとに大好きで、心理学の教科書になるんじゃないかってくらい、人間への洞察が鋭くて、(耳が)「痛面白い」って感じなんですけど。
こっちは逆(逆?)というか、頼んでもないのに「守る側を勝手に自認する」男が、それでいて「守れる自信はない」という、まあなんていうかもの凄くウザくて情けなくてダサい話なわけです。
テキストを見てみましょうか。
豊美:(チンピラの飯塚に向かって)うるさい!
角田:…え?
(中略)
角田:え、そういうタイプ…?。そういう、「いく」タイプ?。だとしたら言わせてください。絶対にダメ。あんなことしちゃ絶対にダメ。
豊美:何がダメなんですか?
角田:いや危なかったでしょ。すごい危なかったんだよ?。今絡まれてもおかしくなかったんだからね?。
豊美:でも迷惑だったから。
角田:よっぽど迷惑だよ。こっちにとっては。いい?。こういうのって結局、男の方に回ってくるから。そういうことちゃんと考えてくれた?。
豊美:考えてないです。
角田:考えろよ。特に考えなきゃいけない相手だよあれ。見たい?。俺が殴られてるとこ。
豊美:なんでそんな話になるんですか?
角田:いやありえたのありえたの、全然ありえたの。見たいの俺がボコボコに殴られてるとこ。
豊美:見たくはないです。
角田:こっちだってやだよ。絶対やだよ。自分がボコボコにされてるところを、デートの相手に見られるほど、いやなものはないよ?。カッコ悪い。うん。泣くしね?。もうわんわん泣いて、土下座土下座ですよ。簡単に目に浮かぶ。いやそれでも引かないっていうんならいいよ?。デートの相手がそんなんでも引かない?
豊美:引きます。
角田:勝手だね。じゃ絶対あんなことしちゃダメだよ。いい?。どんなに隣の人が怖くてもうるさくても、ね?、どんなにだよ、傍若無人でも、だまーーってよ?。もうじーーーーっと、じーしてよ?。もうじーーっとして二人でじーーーーっとして、過ぎ去るの待とう?
豊美:・・・
角田:いやそんなもんだよ?
豊美:最低。
東京03 第9回単独公演『いらいら』より (筆者耳コピ)
はい…もーうね、いい感じにダサいですよね…。
さっきとは違った意味で「あぁ…」(悲しい目)になるやつです。
もちろんこれはコントですから、人物は誇張して、戯画的に描かれてはいます。
だから、べつに角田を擁護するってんじゃないですけど。でも。
これが「ウケる」「面白い」という気持ちの中には、どこか「あるよね」「わかる」が含まれると思います。
本当に意味が全くわからない、理解不能な言動だけだったら、(いわゆる”シュール”なネタはさておき)「はあ?」で終わっちゃいますから。
実際、僕は、恥ずかしいですけど、
わかるー…
な部分もあるわけです。だから耳が痛いんですけど。こうなりたくはないですけど。
このあと結局豊美は「幻滅しました」と言って角田を振って去っていくわけですけど、じゃあ実際に、本当にこのチンピラ(飯塚)がキレて、豊美に絡んで来たら、例えば胸ぐらを掴んで来たりしたら、その時に豊美は角田のことを少しも頼りに、アテにしないんでしょうか…?
私がして起こったことなんだから自分の責任で対処しますし、いざとなれば大声を出して周りの人を呼びます。
っていうのであれば、それで万事OK、存分に角田を罵って構わないのかもしれない。
でも、本当の本当に少しも(周りの他人と寸分違わないレベルでしか)期待しないでいられるのかしら…?
僕はぶっちゃけ白状しますが、無理です。(はぁ…ダサ。)
誰かと一緒にいて絡まれたりしたら、一緒にいる人に助けの目を求めちゃう気がする。
問題が起きた時に角田が仲裁をしなかったら。何もしないで、
あ、それは彼女がしたことですから、僕には関係ありません、お二人でどうぞ。
ってなったら、
”一緒にいたのに”どうして助けてくれなかったの?
って思う気がする。うーん…僕だけかしら。
そうなってしまったら、そこには守られる側だという要素が乗っかってくるんじゃないかなあ。
もちろんこっちの場合は、ピーター⇔MJの場合と違って、「守る/守られる」ではなくて、「互いになにかあったら守り合う」という、互助的なありかただとは思うんですけど。
一方的に角田が守”らなきゃ”いけないわけじゃないし、豊美がいつも守”られる”わけでもない。
でも、いずれにせよ”守られる”立場になる可能性があるのであれば。
豊美ほどそこに無自覚でいると、思わぬ危険が身に及ぶこともあるんじゃないかなあ、と、ちょっとだけ、怖くなりました。
ま、そもそも公共の場で人に迷惑をかけるような声で喋らないでよね!
って話なんですけどね。
守る守られるとかじゃなくて、そもそもよくない行いはみんなで「よくない」と指摘しようね!
って話なんですけどね。
それはもう、間違いない。Definitely true.
だからこれは、あくまで僕の、深読み。というか、心配性。
まとめ ~というより、僕の不安~
いかがでしたでしょうか…?
再三の注意喚起ですが、
「守る/守られる」は「男/女」に対応して考えてはいませんので…!
例をあげれば、昨年11月に公開された、マーベルの新たなシリーズ第一作となる『エターナルズ』では、女性のヒーロー(というか、人類を守護する”超越者”)と人間の男性デインの交際が描かれますが、男女の構図としては逆です。
ですし、極論、これって、男女に限らないと思うんです。
例えばですけど、ビジネスの世界で、横暴な取引先に対しあくまで下手に出る社長(部長でも)の態度ををなじる社員(部下でも)という構図とか。
君さ、言うのは簡単だけど、この取引先を失って「会社ごと」なくなる可能性っていうのを、君は”本当に”理解しているのか?
僕にだってそりゃ人間としてのプライドだってあるし、理不尽への憤りや自己嫌悪だってあるよ?。
プライドを語るのもいいけど、「危険」についてはじゃあ、どれくらい「プライドを持って」対処してくれるんだい?
みたいな。
まあ極論、「なにかを守るのって大変ですわね…」ってのと、「誰しも守り”守られ”ながら生きているのだから、僕を(ある一面で)守ってくれている人のことは、(その一面においては)よく思いやって振る舞おうね」っていう、小学校の道徳みたいな話でしかないのかもしれませんが。
守られる側が守られている事実に無自覚な時、悲劇を呼び込む準備ができていそうな気がして怖いなぁ
っていう、余計な心配でした✿
初代『スパイダーマン』シリーズについては、「ヒーローとはなにか?」って感じのテーマで記事を書いているので、よければそちらも合わせてどうぞっ!
それ以外にも、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』鑑賞に合わせて2代目・3代目スパイダーマンでも記事を書いてます。こちらは今回の記事からはさらに余談度が増しますが、その気概のある方は是非っ♪
最後までお読みいただき本当にありがとうございました!
それでは、また。あさき夢の狭間にて ✿