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BUMP OF CHICKEN 「HAPPY」に救われたこと|世界観を、反転させる

こんにちは、まおです。
今日もいい夢、見てますかしら ✿

今日は、言葉の力で世界観を反転させて救いに変える術を、
BUMP OF CHICKENの「HAPPY」から紹介します♪

この曲に救われる人:

・ちょっと嬉しいことがあったり気分が上がったりしても、それが長続きせずにすぐ鬱モードに戻って苦しい人
・「本当の本当は、あれがやりたいんだけどなあ…」という不安・後悔・諦めが頭をよぎる人

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楽曲あらまし

「HAPPY」ってこんな曲
  • 2010年リリースのメジャー4作目のアルバム「COSMONAUT」に収録
  • 満たされないまま傷を増やして生きる大人に贈った、人生の応援歌
  • 前半で綴られる生きる苦しさや恐怖を、生きる勇気に反転させる言葉の力に救われる
  • 自分の中にいる 少年/少女 (=夢を見る自分)の囁きが、大人になった自分を苦しめる。
    でも、そこに耳を澄ますと決めて、純粋な自分に戻る=生まれ直すことが救いになる

世界観を、反転させる

人の性格を語る上でよく、ポジティブorネガティブって、でてきますよね。
あたし? あたしはもちろん、断然、ネガティブです、はい。ネガチブぽんちです、ええ。

でね。まあいろいろとどっちの生き方にもいいこと、あまりよくないことそれぞれあると思うですよ。
だから別に、どっちが正しいとか、そういうことを述べたいわけではないんですけど。
単に、僕の希望として、

ポジティブに生きている人の世界の見方を知りたいっ

なんて思うことは、ちょいちょいあるんですね。

人って面白いですよね ✿
例えば友だちと、例えば恋人と、同じ体験をしたとしても、その受け取り方、感じ方、残り方は全然違うじゃないですか。
人は皆、それぞれにそれぞれの色眼鏡をかけて、世界を見ている。
”同じ”ものを見て、聞いて、”同じ”思い出を共有したと思っていても、認知の仕方、感じ方が違うのであれば、
果たしてそれは”同じ”体験なのか? っていう。ん、話が哲学の方向にいきそうで嫌だぞ。

つまりその、何が言いたいかって、

だれか、だれか僕のこのネガティブな色眼鏡を、むしり取ってくだされ~

っていう。やーつです。

僕は、気分の波が激しいです。
自分で自分の気分の波にうまく乗ってあげないといけない。
うねったり、轟いたり、かと思えばすごい勢いで引いていって、死んだように凪いだり…
その七変化ぐあいについていけずに、自分で自分に疲れてしまうことがよくあります。

俺は、俺にうんざりだ。

というのが、僕の中で重要なテーゼだったりします。
だから僕は、

違う人間になりたいっ

とまではいかずとも、
「この色眼鏡脱ぎ捨てたい~~~~」くらいのことは、しょっちゅう、思います。

苦しい。苦しい。自分が、苦しい。でも、脱ぎ捨てられない。
そんな時に自分を救うのが、麻酔をかけてくれるのが、音楽の、言葉の力ですよね ✿

悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう

作詞:藤原基央

「HAPPY」一番のサビにこんな歌詞があります。

うん、わかるわかる、わかるよ。
悲しんでるときに「いつかそれも忘れられる時がくるよ。止まない雨はないからさ。」的なことを言ってくれる友だち。
(こんなこと言う人、実際にいるのかしらん?)ありがとう。ありがとうね。

でも、さ。と。
じゃあそれって、喜びだって、幸せなことだって、
「いつか忘れてしまう時がくるよ。曇らない晴天はないからさ。」って、ことだよね…?

ずーーーん…つら。喜びが続かないって、え? つら…この世はげに諸行無常なり…

って、なっちゃうのが僕。なんですけど。
「HAPPY」はそれを、最後のサビでこうひっくり返すんですね。

消えない悲しみがあるなら、生き続ける意味だってあるだろう。

作詞:藤原基央

なんと…そうくるか。え? あ、え?
…たし、かに。

う、うつくしい…うつくしすぎないですか!?

僕はこの歌詞にねえ、救われたんですよ。

単に生き続ける意味を称揚するんじゃない。
そうじゃなくって、「この人生は苦しい。嬉しいこと楽しいことも、いつかは消えてなくなってしまう。」ってことも認めた上で、「でも、さ」とネガティブをポジティブに反転させている、というところがうつくしいと思います。

反転、ということが僕にとってはとっても大きくて。
「変わる」ってことは、すっごく、難しいと思うから。
これまで26年間ネガティブ思考だった、良いか悪いかはしらず、ともかくそうやって生きてきた僕が、

さあっ、明日から、ミラクルハッピー人生のはっじまりだーっ、イェイイェイ、ウォウウォウ♪

とは、いかないわけです。残念ながら。いくら願っても。
僕は一時期カウンセリングに通っていて、認知行動療法に取り組んでいたこともあるんですが、色眼鏡を外して物事を受けとめようと思っても、

なんでこんな無理してまで楽しもうとしてるんだ? いやもう、普通に嬉しくないから。 あー、ダメだやっぱ、俺には…

って、かえって自分の虚無を助長してしまうこともありました。
(*認知行動療法に効果がないと言っているわけでは決してありません。僕にも一定の効果はもちろんありましたし、正しい方法で、ちゃんと段階を踏んで継続をしていけば、本当に色眼鏡を脱ぎ捨てることもできなくはないのだと思っています。僕は単に、諸事情で途中で治療を辞めました。)

でも、反転、であれば。
既に僕の見ている世界と同じだから。それを変えずに、裏側から見る。
自分が強固に「悲しみと同じように、喜びだっていつかは消える」っていう世界観で生きているからこそ、
「消えない悲しみがあるならとそれと同じように、生き続ける意味だってある」ということも、
同じくらい強固に認めざるを得ない。ぐうの音も出ない、というか。
それだったら、信じられそう。グラグラしながらも、おっかなびっくりでも、そうやって、世界を見ることができそう。

終わらせる勇気があるなら 続きを選ぶ恐怖にも勝てる

作詞:藤原基央

反転は、ほかにも出てきます。
ここでいう「終わらせる」とは、恐らくは、ー命ー。

苦しみから逃れたい。楽になりたい。
明確に”死のう”と思わないまでも、

今もし苦しまずに死ねるなら、それはそれで楽になれていいかもな…

と思ってしまうことは、僕は正直あります。
でも、”死”に相対できることを勇気だと気づければ、この先だって歩み続けられるんじゃん?と、
本人を変えるんじゃない、見方をひっくり返すことで、背中を押そうとする。

ここが、僕にとってのあさき夢たるポイントです。

続きを進む恐怖の途中、続きがくれる勇気にも出会う

作詞:藤原基央

「続きを進むことに、それをその意志を挫く恐怖がつきまとうなら、”同じように”、進む意志を励ます勇気だって手に入る」と、ダメ押しまであります。

ありがとう、そうだよね。

耳鳴りを生んでやまない、自分の中の少年/少女

僕は新卒で丸3年ほど大手の広告代理店に勤めていたのですが、会社を辞める時にまわりの人から

えー、せっかくのエリートコースを、もったいない!

といったようなことをよく言われて、驚かれました。

たしかに、実際、いい会社でもありました。
僕が会社を辞めた理由に、会社自体へのネガは、一切ありませんでした。

それでも僕が会社を辞めたことには、ひとえに、「耳鳴りがやまなかった」ということが影響しています。

耳鳴り、というのは、実際の耳鳴りのことではありません。
(会社を辞めてから精神的な障害で実際の耳鳴りも経験しましたが…それはまた別のお話)

いうなれば、「心の奥底の本心」という感じでしょうか。

僕は、会社員時代、大学から始めた演劇を、社会人劇団という形で続けていました。
サラリーマンとして安定した稼ぎを得ながら、仲間うちで土日に集まって、趣味として大好きな演劇を続ける。
数か月にわたって土日のほとんどが稽古に潰れる生活は、疲れもしますがそこはこれ好きでやっていること、今考えても贅沢な生活だったようにも思います。なにより、役者をやるのは楽しかった。

それでも。

ほんとはもっとうまくなりたいんじゃない…?
ほんとはそれを職業にしたいんじゃない…?
ほんとは”表現”に人生賭けてみたいんじゃない…?

という心の声は、きっと、ずっと体の中で小さくこだましていたんだと思います。
でも、それに耳を貸すのが怖かった。その声を聴くのが怖かった。
だって、

さすがにそんなに甘い世界ではないから。
さすがに今さらだから。
さすがに今の環境を捨てるのはもったいないから。
さすがに夢見すぎだから。
さすがにその道で食べていけるのは、それ以外では生きていけないような”規格外”の天才たちだけだから。

厳しい世界で夢を叶えていく人たちは、そもそも”将来”とか”安定”とか、”それ以外の選択肢”とかが最初から目に入っていなくて、こんなことに迷う時点で俺は”平凡”なんだよ。って、思っていた。思おうとしていた。

でも、それでも。耳鳴りがやまないから。
僕は思い切って、会社を辞めました。

(まあ、満を持して新たに入った劇団でいきなり適応障害に陥ったんですけどね!
 人生ってうまくいかないですね、あははー!)

ゴホン。話をもとに戻しましゅーけど、僕にとって「HAPPY」が救いだったのは、夢見る自分の中の「少年/少女」の声を聴く苦しさは、僕だけじゃなかったって思えたから。

少年はまだ生きていて 命の値段を測っている
色々どうにか受けとめて 落書きの様な夢を見る

作詞:藤原基央

少女はまだ生きていて 本当の事だけ探している
(中略)
感じる事を諦めるのが これほど難しい事だとは

作詞:藤原基央

無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて

作詞:藤原基央

「大人」になるにつれ、知識は増え、体験は増え、スキルも増やしていくことができる。
それでも、いっぽうで、

なんだか、”本当の”自分から遠くまで歩いてきてしまった気がするなぁ…

って思うことって、ないですか。

  歩みを進めるにつれて、いろんなものを落っことしてきた気がする。
歩みを進めれば進めるほどに、道に迷っているような気がする。
   自分が歩むごとに得たものは、こんなに、乾いた気持ちだったのかなあ。
                 こんなに、寂しい気持ちだったのかなあ。

生きるって苦しいなあ。
生きるって寂しいなあ。

ごめんね、10歳の頃の自分。
君が「1/2 成人式」で夢見たようには、生きてこられなかった。
大きく強くなったのは、体と自意識だけだったかもしれないよ。

それでも、ね。

まだ、終わっていないから。
まだ、生きているから。
まだ、君の声が聴こえるから。

僕は「Happy」を聴いて、苦しくても、空しくても、子どもの頃の自分をがっかりさせないように、生きたいと思いました。
「今さら」「流石に」という悪魔の呪いを退ける「退魔の賛歌」として、「Happy Birthday」と、高らかに、歌い続けたいと思いました。


あさき夢見ばや

い、如何でしたでしょうか。
僕を救った あさき夢、酔いたくなりましたでしょうか…?
これを読んで少しでも「救われたくなった!」という人がいらっしゃったら、嬉しい限りです。

どうぞ是非、聴いてみてください✿

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最後までお読みいただき本当にありがとうございました!
それでは、また。あさき夢の狭間にて ✿

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