こんにちは。まおです。
『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』が公開されていますね。
わたしはアベンジャーズシリーズが好きで、遅ればせながら先週劇場で観てきたのですが、いやはや。
初代・2代目と過去のスパイダーマンシリーズへのリスペクトや愛がすごくて。
こりゃあ復習してもう一度観に行かにゃならんなあと思い、最近アマプラで総ざらいしているのですが。
(同じことしている人多そうですね…そのくらい、別の監督からなるスパイダーマンシリーズを大切にまとめ上げていたように思います!)
ということで今回は、2代目『アメイジング・スパイダーマン』シリーズの2作を観て感じたことを書いておこうかと。
初代シリーズは、「ヒーローとは」という割と自分の中で大きなテーマと絡めて、改めて書きたいと思います!
これ以降、ネタバレあります。 観る予定ある方はご注意をば! よろしくお願いします✿
作品あらまし
- 『500日のサマー』のマーク・ウェブ監督の手による2代目のスパイダーマンシリーズ
- スパイダーマンことピーター・パーカーは「ハクソー・リッジ」で主演を務めたアンドリュー・ガーフィールド
- ヒロインのグウェンを『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーンが演じています
- ヒロイン・グウェンがシリーズラストでまさかの…? そしてそれが公開中の「ノー・ウェイ・ホーム」で…?
タイトル | 『アメイジング・スパイダーマン』 『アメイジング・スパイダーマン2』 |
製作年 | 2012 アメリカ 2014 アメリカ |
監督 | マーク・ウェブ |
ジャンル | アクション |
主演 | アンドリュー・ガーフィールド |
そうか…これ書くために調べてみて知ったんですけど、アンドリュー・ガーフィールドって『ハクソー・リッジ』のデズモンド・ドス(主役)なんですね…『ハクソー・リッジ』は僕が今まで観てきた戦争映画の中で(そう多くはないんですけど)一番好きだったので、どこかで取り上げると思います✿
秘密は腐りやすい。よ。気をつけよ。
今回このシリーズを観て考えさせられたのは、「秘密がもたらすもの」についてです。
実際、作中でも重要な台詞が出てきます。
スパイダーマン業を始めたピーターが毎晩ボロボロになって帰ってくるのをメイおばさんが心配して。
Secrets have a cost. They’re not for free. Not now, not ever.
秘密は代償を伴うものよ。どんなときも。
opensubtitles.orgより
うーん…まあ、これがすべてです、って言って終わってもいいような気もするんだけど…
秘密には、誤解を、妄想を忍び込ませる”スペース”を作る作用がある。
秘密は、それ自体が”悪”になりうる。
ということを、意識しないといけないなあ、ということを思いました。
間なんて、嫌いだ。
秘密を持つ。
そして、「秘密を持っている」ということを、大切な人に知られる。
すると、二人の間には「秘密を持たれた」というスペースができてしまう。
そしてそのスペースには、いい想像よりは悪い想像が、正しい推理よりは間違った判断が、入ってきてしまいやすい。
『アメイジング・スパイダーマン』シリーズでは、秘密がもたらすすれ違いや苦悩が多く出てきます。
- メイおばさんは、ピーターが隠れてスパイダーマンをやっていることで、不安で眠れなくなった。(上記引用部分)
- ピーターのお父さんは、ピーターやベン夫婦に真実を話して去れなかった(結果として秘密を作ってしまった)ことで、メイおばさんがオズコープ社の策略に巻き込まれ、ピーターが両親を誤解することになってしまった。
- メイおばさんは、ピーターの両親について自分が知っていることをピーターに隠していたことで、ピーターの不信を買って、喧嘩をすることになった。
- オズコープ社のノーマン・オズボーンは、家系の呪いのことを息子のハリーに隠したまま彼を寄宿学校に追いやったから、事情を知らないハリーからの憎しみを買ってしまった。
- ピーターは自分がスパイダーマンであることをハリーに隠したままにしていたから、ハリーがそれを知ったときの怒りは増幅された。(これは推論です)
難しいのは、秘密を持つ側が、相手を謀ろう、傷つけようとしているわけではないといことですかねえ…
むしろ、本人たちは相手を思いやっていたり、そうでなくとものっぴきならない事情で、やむにやまれず秘密にしている、ことばかりです。
だけど、秘密にされた側は思いやりの結果だとはなかなか思えない。
どうしてなんでしょうね。
これだけ古今東西の物語の中で、秘密による誤解で悲劇を生んだり、それが後々になって解消されてハッピーエンドになったりしているのに。それなのに。
あ、秘密があるのね。じゃあ多分、それはわたしが知らない方がいいことなんだろう。
ありがとう、わたしを気遣ってくれて。
ってなってる人をほとんど見たことがない。不思議だ…。
結局、秘密の裏には、秘密にしている人にとっての「利益」があるように感じてしまうんでしょうかね。
だから、秘密を秘密のままにしておくと、自分が出し抜かれる可能性がある。
自分が不利益を被る可能性がある。だから、伏せられたものは暴かずにはいられない。
うーん。なんでだろう。
大切な人の秘密も信用することができないのは。
利益が絡まないでも、”スペース”、空白が、距離が空いていることが嫌なのかな。
だとしたらその距離にはどうして楽観的な意味を、自分のためだという想像を詰め込めないんだろう。
いや、俺が悲観的だからそう思うだけか?
人の秘密に対して素直に「あ、そうなのね。おっけー。」って言って我慢していられる人もいるのか…?
物語ですれ違いが起きがちなのは、単にドラマを生む装置として効果的だからか…?
うーん。難しい。どう思いますか????
僕が一番苦しかったのは、ピーターのお父さんが失踪した理由を、メイおばさんが誤解”させられた”ことのように、当の本人たちがどれだけ信じあおうとしていても、周りから、予期しないところから、それを揺らがせる誤解や妄想の毒薬が注入される可能性があるってことですかね…
大切な人を想って隠した秘密が、周りの手によって、犯される。
そしてその釈明が、できない。だって、知らせれば傷つけてしまうから。
ツラい…。
秘密=悪=暴く
それから、初代シリーズでもそうですけど、スパイダーマンは「覆面ヒーロー」であるがゆえに市民からは
素顔を見てみたいわ
といった好奇心はずっと向けられていますよね。
誤解や妄想が入り込むから、ということとも関係すると思うんですけど、隠す=やましい、隠す=信用ならない、みたいなところから、隠す=悪、に転んでしまいうる、というのも怖いところだなあと思います。
知りたいという欲望が満たされないとき、秘密の保持者は悪として糾弾されうる危険がある。
実際、初代シリーズでは、デイリー・ビューグル紙の編集長は頑なにスパイダーマンを悪党として否定していた。
もちろんそこには報道人としての判断という要素は入ってきている。
(正当な権利をもたない一市民の私刑を認めない、とする報道正義なのか、単に世論をかき立て自紙を売るための報道政治なのかはわからないけど…)
ただ、ピーターがもし身元を公表していたら、あそこまではならないような気もする。
それができないのが難しいところなんだけど。
秘密である、ということはそれだけで”悪”に変質しうる(させられうる)のが怖い。
秘密の代償を支払ってでも、守りたいか。
結局、そういうことなんだと思う。
簡単に、
これはあなたのためなの。わかって。
ということはできるけど、そこには代償が必要になる、ということを忘れてはいけない。
相手のためを思ってしていても、疑念はかき立てる。
幸い当の本人は信じてくれても、他の人はそうはいかないかもしれない。
あらぬところから、「あなたを想う美しい秘密」が「あなたを呪う恐ろしい毒薬」に変えられてしまうかもしれない。
そうして相手は自分を恨むかもしれない。憎むかもしれない。
悪のレッテルを、貼られるかもしれない。
それでも、あなたを守りたいか?
あなたのためというなら、そのために汚名をも着る覚悟があるか?
秘密を駆使して人を守るなら、代償に起こる悲劇も引き受けなければならない。
のかなあ。なんて。
代償を払ってでも守ろうとする姿勢をもちえた時にだけ、悪に堕ちた秘密は美しいものとして息を吹き返すのかなあ。
なんて。つらつらと思いました。とさ。